写真がうつすものは…? [コラム]
各学年の証明写真撮影を行いました。
1年生、2年生は実習に行く際の自己紹介用として、
3年生は国家試験願書提出時に使用するものです。
普段は個性的(?)な髪型の人も、ピンで留めたり、黒髪にして…。
(男性もヘアピンを持っていることに驚いてしまうのは、私だけ…?)
出来上がった写真を見て、いつも感じることがあります。
写真は一瞬のそのひとの表情を写したものであるけれど、
そのひと自身を映しているなぁ…、と。
入学時の写真と国家試験願書のそれとでは、
何かが違うのです。
言葉で表現するのは難しいのですが、
輪郭がどことなくボヤ~っとしていたのが、
”意志のある顔”になるという感じでしょうか…?
”おとなになったら、自分の顔に責任を持て”
という言葉を思い出しました。
国家試験や実習まであと数ヶ月…。
今年の写真の仕上がりも楽しみです。
職員 飯田
同じ目標を持つ仲間・・・ [コラム]
バトミントンダブルスの“オグシオ”ペア解消との報道がありました。
潮田選手と小椋選手の目標に温度差があることが理由とのこと。
方向性が異なる“オグシオ”ペアの解消は、プロフェッショナルとして、有意な決定要因であると思います。
本学の学生さんは“愛知医療学院”に入学し、全員が同じ目標を持っています。
本学の卒業式における謝辞で必ず耳にするのが、
“共に支え合い、助け合う仲間がいたから乗り越えることができた!”と・・・
何度聞いても、この言葉に慣れることはなく、涙が溢れてきます。
私も学生のみなさんと同じ“愛知医療学院”に所属しています。
学生のみなさんとは立場は異なりますが、同じ目標を持っているのですよ・・・(小川)
”当て”にされとる…。 [コラム]
今年で95歳になる祖父は、春頃に体調を崩し、
入退院を数回経た後、めでたく(?)要介護3の認定を受け、
デイサービスに通うことが決まりました。
筋金入りの頑固じいさんである祖父のこと、
”素直に通うことができるのかなぁ…?”
と心配しつつ、先日、久しぶりに会いに行った日の会話です。
「デイサービスはどう?」(耳元で大きな声で)
「・・・当てにされとるらしい」
「???」
「わしが行かんとさみしいらしい」
と、真剣な表情で話すのです。
その相変わらずのポジティブな考え方に感心すると同時に、
祖父をそんな気持ちにさせてくださったスタッフの方の手腕に頭が下がる思いなのでした。
耳がかなり遠くなっている祖父には、言葉がなかなか上手く伝わりません。
それでも自分に会うことでスタッフの方が喜んでいると、
感じることができたのではないでしょうか…?
”自分を必要としてくれている”
”自分に会うことで楽しんでくれている”
そんな気持ちにさせてくれるひとが1人でもいてくれたら、
ひとはそれだけで前向きに生きていけるのかもしれない…。
そんなことを実感した出来事でした。(職員 飯田)
秋に思う [コラム]
読書の秋、運動の秋、食欲の秋、勉強の秋・・・、皆さんは、どのような秋を過ごしていますか。
私は、1ヶ月ほど前から、小学6年生の子どもと、夕食後、学習タイムを過ごしています。
これまで、宿題以外勉強らしいことをしてこなかった子どもなので、
初めの頃は、
「8時から『世界まる見え』が見たい~、『どうぶつ奇想天外』が・・・」
と言っていましたが、
2週間も過ぎると、食後はテーブルで勉強することが当たり前の習慣となったようです。
まだ小学生なので、親がつきっきりで、問題につまづいた時には、いっしょに取り組んでいます。
それにしても、親が子どもに勉強を教えるのは難しい・・・!
学習タイムを設けるにあたり、「できる限り褒めて、自信をつけさせたい」と考えて、始めたのですが・・・。
昨日はついうっかり、「どうしてそんな簡単な最大公約数が浮かばないのっ」と言ったとたん、子どもの口はへの字に・・・。
「あぁまずい、励まさないと・・・」
と思いつつ、子どもを見守っていると、ムスッとしつつも、黙々と分数の問題に取り組んでいました。
先程の失言は、分数の問題を丸付けした後、苦手なところをあえて指摘し、できたところを褒め称えたことで、ようやく子どもに笑顔が戻りました。
子どもに対しては、ついつい力が入っちゃうんですね。
学生の皆さんも、ご両親から勉強を教えてもらっていたと思いますが、子どもへの思いが強いからこそ、つい感情的になってしまうんですよ。
愛知医療の先生方も、学生の皆さんを、一人前のPT・OTとして送り出したいという熱い思いから、時に厳しく、激しく指導する光景を目にします。
皆さんを思うが故の先生方の言葉が、皆さんの心に響くといいなと思います。
四季は巡っても、一年中熱い思いがあふれる愛知医療学院、お勧めです!
平成20年10月 職員F
心残さず生ききる! [コラム]
先日、NHK「プロフェッショナル」で淀川キリスト教病院の田村恵子看護士が紹介されていた。
日々生活をしていく中で“死”について考えることはないが、改めて「死生観」について考える時間となった。
田村さんは、癌患者のスペシャリストとして、苦しみの中にいる人と正面から向き合っていた。
“迫り来る死への恐怖” “後悔の念”
それがどれほどの恐怖なのか自分には想像できない。
番組の中で出た患者さんは、、娘の結婚式にもう間に合わないかもしれないと、妻とその娘は、父のために結婚式の衣装で写真撮影をすることにした。しかし、それは、父に結婚式までは生きられないと宣告することでもあった。
その撮影の日から程なくして、父は亡くなった。
患者さんは、恐怖や後悔だけではなく、真実に向き合い、覚悟を決めて生きているのである。
田村さんの「心残さず生ききる」という言葉が頭に残る。【事務長記】
自分自身のマネジメント [コラム]
朝夕はめっきり涼しくなって、気持ちがいいほどよく眠れるようになってきました。
さて、本学では、学生さんの成績を掲示板に掲示しています。
(掲示については、予め学生及び保護者に掲示することを伝えてあります)
学習効果を上げるためのひとつの要因になるようにとこのような方法を採用しているのです。
その掲示板の前を時々通るわけですが、否応なく学生さんの成績が目に入ります。それは、明らかに成績の2極化が見られるのです。
“これでいいの?”
と大きな声を出したくなってしまいます・・・・
今一度自分を振り返ってみませんか!?
●将来の進路(本学学生全員が理学療法士・作業療法士なるために頑張っているんだよね)
●そのために本学へ入学!
●目的意識を持つ(どんな学生生活を送る?充実した学生生活って何?)
●職業観・人生観(自分が理学療法士・作業療法士になった姿を想像する。5年後、10年後はどうしてる?)
●何ができるのか?・何がしたいのか?(実行)
まもなく、後期の授業が始まります。
自己の人生観を自ら築き上げるために、是非自分自身をマネジメントしてみませんか。
でも、つまづいたり悩んだりしたときには、ひとりで悩まないで!
あなたを支えてくれる人が周りにはたくさんいますよ。 【事務長記】
高校訪問 [コラム]
わたしは自分の仕事柄、県内外の公立私立を問わずいろいろな高等学校を訪問する機会に恵まれている。
もちろん、高校訪問の最大の目的は高校の先生方に本学の概要について詳しく知っていただき、本学に学びの場を求め本学から社会で活躍する人材を広く求めたいがためである。
その訪問目的とは別に
訪問する高校がだんだん近づくにつれ、学校に続く路や民家、路脇の木々草花などの自然が描きだしたデッサンとそこに校門が組み合わさった瞬間に、わたしの目にはその学校の歴史の色彩が出現するのである。
ご存知の通り、
現在の学校の中でもその生い立ちの古いものは江戸時代の寺子屋から優に百数十年を超えるところもあるし、
逆に近年開校したばかりのいかにも近代デザイン的でこれが学校なのかと驚くところもある。
わたしは校門を通るとき、
できるだけキョロキョロしないように、ワクワクする気持をなだめるように周囲を観察しながら歩く。
その学校を包んでいる色彩は
ある時は懐かしいような匂いのセピア色だったり、
ある時は青春時代のウキウキとした軽やかなパステルカラーをイメージさせるのである。
さらには、
玄関の多分理念を表した額、
表彰状、
下足箱、
廊下に掲示された生徒たちの絵や書、
クラブ活動の連絡文
などなど、
校舎内のありとあらゆるものがワクワクさせてくれるのだが、
その色彩は、間違いなく校門を通ったときの色彩なのである。
そして、
校舎内を吹き抜ける爽やかな風とともに
校庭からの聞こえる声、
すれちがう生徒達の明るい挨拶、
教室から聞こえる先生の声に
その学校のその色彩が最も強く表現され描かれているのを感じるのである。
わたしはこれからも多くの高校に訪問すると思うが、
次はどんな色彩を感じとることができるのだろうかと。
あるいは新しい色に染め直した学校もあるかもしれない。
そんなことを想いながらも、
来年、愛知医療学院短期大学の校門をくぐる君に、
本学は明るい未来を期待できる色彩をイメージさせる大学でありたい
と思うのである。
入試広報室 東郷 憲二郎
唖然とする数字 [コラム]
年齢65歳を超えて賞味期限も切れたので、
今年の3月一杯で首の皮1枚をのこして事務職員をリタイヤして、
4月より新米の非常勤講師になり、14名の学生さんに「現代社会」について週に2コマの講義を担当している。
講義の初めに話したことは、
世界で初めて「義務教育」を実施した「フランス革命政府の教育の理念について」である。
革命政府は、自分たちが成し遂げた「革命の成果」をどのようにして「次の世代に引き継いで貰うべきか」を真剣に議論した。
そして「国家の責任と義務において、すべての子供に教育を受ける権利を保障する」、
これが「義務教育」の始まりである。
義務教育とは、こどもが教育を受ける「権利」を持ち、国家と親がその「義務」を負うと言う事であると。
かくして、「教育の本質」は、「教える者は裁かれる身になって、教えられる者は裁く身になって」とされる。
このように講義を初めて、終わりの第14・15講でこれからの現代の課題について講義内容を詰めて来ると、大変な事になってきた。
*国と地方自治体の年間経費(歳出)は、凡そ166兆円、税収等の歳入は99兆円(60%)、凡そ67兆円が不足する事になる。
これが積もり積もって今や長期債務残高が778兆円となっている。
借金を子供や孫に残さないように、行政改革、道州制の導入、医療保険制度の改革等が議論されているが、先は見えてこない。
7月16日の日経朝刊の記事が目に止まった。
米FRB議長の発表が載っていた。
「米住宅ローンの残高は、凡そ1,155兆円」
其の内「サブプライム・ローン105兆円は焦げ付き」
世界の金融機関の損失は42兆円、
また「米住宅公社が保証・保有する住宅ローン担保証券は546兆円、
世界の金融機関が保有する証券は136.5兆円」、
米経済が縮小して証券等の下落、
ドル下落が始まったら、日本経済のみならず世界経済はどうなるのか。
20世紀を生き延びてきた者として、
この現実を、21世紀に生きる若者にどのようにお願いしたらよいのか。
このような内容の講義をしながら、
「教える者として裁かれる身」になった時、
学生さんは「裁く身になって」どんな裁きをしてくれるであろうか。
新米の非常勤講師:寺尾雅規